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明治六大教育家の一人である新島襄が同志社を創立してから145年。

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新島襄(1843〜1890)は、21歳で幕末の日本から密出国して渡米しました。人びとが奴隷扱いされ、息苦しい封建社会に束縛されることに我慢ができず、自由と人権を求めての冒険でした。( 新島襄と同志社 )留学中、キリスト教徒となった新島は、しだいにひとつの夢を膨らませました。「自由」と「良心」に立つ人間を養成するキリスト教主義教育を日本でも、という夢です。10年振りに帰国した新島は、さっそく京都に同志社英学校を創立しました。( 同志社大学設立の旨意 )同志社とは、「志を同じくする者が創る結社」です。その原点は、もちろん新島の志です。英語の校歌も「One Purpose」です。これも「ひとつの志」、「同じ志」、すなわち「同志」を意味します。

【千年の都、京都の地にて。】
同志社大学の校地は2つあります。京都市中心部、京都御所の北側に位置し、名刹・相国寺に隣接した今出川校地は同志社大学の誕生の地であり、145年に渡る歴史そのものと言えます( 今出川校地 )。キャンパス内には、重要文化財が5棟あります。また、古都の芸術・文化の伝統は、同志社大学の学問に独自の存在感を与えています。この京都文化を実感する経験こそ生涯の財産と言えるでしょう。一方、京都府南部に位置する京田辺校地は緑豊かな自然に包まれ、79万m²という広大な敷地に最新の施設・設備を有し、現代建築の精緻さを誇る学舎が並んでいます( 京田辺校地 )。

【妻・八重 〜新島襄とともに同志社を支え、育てた女性。】
新島襄の妻である八重は、新島とともに同志社創立に尽力した京都府顧問・山本覚馬の妹。兄のもとに出入りしていた襄と出会い、同志社英学校の開校と同年の1875年に婚約、翌年に結婚しました。結婚式は、京都では初となるプロテスタント式でした。キリスト教主義の学校設立を快く思わない僧侶や神官から抗議や妨害を受ける襄を支え、男女を問わず同志社の学生たちに愛情を注ぎました。男勝りの性格で知られ、時には非難を浴びることもありましたが、夫婦仲はとても良く、襄はアメリカの知人に宛てた手紙の中で八重の見た目ではなく人間性の美しさに触れ「私にはそれで十分です」と書いています。襄の没後は、日本赤十字の篤志看護婦らの地位向上に献身し、新島宗竹という名で茶人としても活躍しました。

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「表現で世界を変える人」を育てる大学。 多様な価値観を認めあい学びあう場所です。

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京都精華大学は表現で世界をかえる人を育てる大学です。
「自由」を生涯探求し続けた初代学長である岡本清一は、「人間尊重」「自由自治」をうたった覚書を提示しました。その理念は今も教職員、在学生に息づいています。創立から50年以上の歴史をかさねた今も、大学は進化し続けます。

AI(人工知能)やロボット技術の発展により、さまざまな仕事が自動化・無人化される現代。IoT(Internet of Things)の導入も進み、私たちの仕事や生活もインターネットなくして成立しないような状況を迎えています。しかし、働き方も社会の仕組みもどんどん変化しているいまだからこそ、人間が持つ思考力や教養から生まれる「表現力」が重要です。
京都精華大学のカリキュラムは、一人ひとりが個性を伸ばし、専門分野をきわめて社会に新たな価値を生み出す力を身につけられるよう、専門を支える3つの学びで構成されています。

まずひとつめは、全学部生が受講する「共通講義」。人文科学、語学、自然科学などの基礎教養を身につけ、知の土台をつくります。
ふたつめは、視野を広げる「マイナー制度」。自分の専門とは異なる分野を学び、新たな視点を獲得します。
そして最後は、社会とつながるさまざまな「社会実践プログラム」。学外で多様な経験を積むことで自分の可能性をさらに広げます。

これらの3つの学びは互いに関連し、補い合い、新しい社会を生きるあなたのための地図になります。